雪月占花_心々の『楽書記』

地球の不可思議を楽しみゆるく暮らすためのメモ

最古の聖典タントラOSHO版「源泉への道」第二巻

本日は、インドの神秘家(……?)としては外せない

OSHO「源泉への道―中心へ向かう・ハートの開発 和尚講話録(タントラ秘法の書)」を『楽書記』。

 

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OSHOと本書をザックリ説明

「源泉への道」本書よりフレーズ抜粋

ダラダラダラリと感想を

 

この本は、5000年前のタントラ最古の聖典『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ(意識を超えていく技法)』をOSHOが解説した「源泉への道―中心へ向かう・ハートの開発 和尚講話録(タントラ秘法の書)」シリーズの第二巻(全十巻)にあたる。内容としては、具体的で面白い技法がたくさん載っているし、実際にやれるコトばかりなので楽しい書。例えば、中心(センター)を定めるための技法としては、両手で頭部の七つの孔を塞ぐ、マインドが止まる、意識が外に出られなくなり内にとどまる、意識は両目の間にとどまり焦点を定める、その地点こそが第三の目。と言った感じに解りやすく記されている。

 

「源泉への道」本書よりフレーズ抜粋

自分自身がわかったら、人は無欲になる。そしてタントラの力点は、無欲になることではなく、自己実現することにある。そうすれば無欲はついてくる。「欲求」とは、内部で満たされていないという意味だ。なにかを欠いているからこそ、渇望するのだ。充足を求めて、欲求から欲求へと動きまわる。その探求はけっして終わらない。
─ 59ページ

 

トータルな人間には中心がある。なにをしていようとも、彼はその中心にとどまっている。頭が機能しているとき、彼は考えているが、その思考は頭の中で展開し、へそに中心を定めたままだ。その中心は失われることがない。頭を使っても、頭へと移動しない。ハートを使っても、ハートへと移動しない。これらすべては道具となり、彼は中心を定めたままだ。
<中略>中心を定めた人間はいつも中間にいる、どんなことでもけっして極端に走ることがない。─ 65ページ

 

愛していることの徴候とはなにか。三つある。第一に、絶対的な満足。他になにもいらない。神さえもいらない。第二に、未来がない。この愛の瞬間こそが永遠だ。次の瞬間はない。未来はない、明日はない。愛は現在の出来事だ。そして第三に、あなたは消える、あなたはいなくなる。まだあなたがいたとしたら、まだ愛の寺院に入っていないということだ。─ 244ページ

 

さあ逆戻りしてごらん。少しずつ、記録されたすべてがわるようになるだろう。一度逆戻りすると、ちょうどテープレコーダーのように消去されてしまう。そして朝まで戻る頃には、きっと眠りに落ちていることだろう。その眠りは異質のものとなる。その眠りは瞑想的になる。─ 274ページ

 

憎しみや愛といったものは、あなたの源泉からやってくる。怒っているとき、あるいは愛や憎しみを抱いているときには、簡単に源泉へと進める。あなたは熱くなっているので、たやすく内側に入ることができる。ワイヤが熱くなっているので、それを伝って内に入ればいい。その熱を使って内に入るのだ。内側にある冷たい地点に達したら、突然あなたは覚る――別の次元が、別の世界が、自分の前に広がっていることを――。─ 294ページ

 

言葉の意味や書いていることを脳みそで理解することはできる。そこから先の実感と言うか腹の底の底まで腑に落とすのが難しい、それでもOSHOの言葉は実際にやれることが多いので、脳みそと身体の両面から染み込ませて体感して理解する……そう、自分自身の調子が良い時は。でも、調子の悪い時はこの世界に居て尚、エゴを消し、自分を愛で満たし、源泉に自己の中心を置くことは不可能だろうと思う。それの繰り返し。

 

途中、OSHOが、ラーマクリシュナはハートから表現し、クリシュナムルティは頭を使って表現すると言う件がある、そんな彼はどちらの層も掴めるよう絶妙なその中間点から表現してるよなと思う。それに、俗な世間に沿って話を進めてくれるので決して瞑想などが特別な人間のものではないと感じさせてくれる。崇高になりすぎない人。

 

ちなみに、OSHOの本は高値になっているコトも多いけれど、図書館にあることが多いのでお金を掛けずに読めて助かる。ちなみに「草はひとりでに~」「死について~」は、kindleUnlimitedの会員だと無料で読めるのでその辺も使える。この辺りのスピリチュアル系の本は結構な割合でkindleUnlimitedで¥0だったりするので、なかなか会員をやめられない。