雪月占花_心々の『楽書記』

地球の不可思議を楽しみゆるく暮らすためのメモ

ムー大陸の最後の都レムリア「ムー・レムリアの超秘密」

アンデスに封印されたムー・レムリアの超秘密 (5次元文庫 う 1-1)

本日の『楽書記』はスピリチュアル本

「ムー・レムリアの超秘密」をご紹介。

 

超簡単に著者紹介

最初に住み着いた宇宙人は?(ページ抜粋)

今後熱いのはチチカカ湖周辺(ページ抜粋)

受取るには与えるが宇宙法則(ページ抜粋)

キリストの存在理由(ページ抜粋)

太陽系の中でも最劣等生(ページ抜粋)

地球=狂気的教室の存在意義(ページ抜粋)

どんなクズにも神性はある(ページ抜粋)

感想、そして自分の浅はかさを呪う

 

ジョージ・ハント・ウィリアムソン署。キリスト学者、人類学者、考古学者、その他諸々学者な彼が、アカシックレコードをリーディングして書いた2010年発売本。1926年生まれ1986年没。今はどうやら金星にいるらしい。結構、時間が経っているのでどうだろう?平均30年サイクルでの転生を考えると……でも地球にいる気がしない。今回も気づけばやたらと抜粋、と言うか過剰な引用量。小難しくなくて丁度良い加減の内容だからなんだろうな、五次元文庫は今回も安定の素晴らしさ。

 

地球に最初に住み着いた知的生命体は一つ目族(サイクロップス)だった!


彼らは、時間のあらゆる巨大な周期に乗り、常により快適な宇宙の住処を求めて限りない星の道を旅してきた”巨人“たちだった(今でも彼らは、時空の別の次元の旅を続けている)。”神の種族“あるいは”エルダー・レース“とも呼ばれているこの種族こと、我々に先駆けてこの地球に最初に住み着いた知的生命体である。
エルダー・レースの一部の人々は、真のサイクロップスだった。つまり、目が一つしかなかったのである。その他の人々は我々と同じように二つの目を持っていたが、それとは別に”心眼“というもう一つの目を発達させていた。彼らの身長は、平均三・七メートルもあり、男性と女性に分かれてはいたが、それは今日の我々が理解しているような性別とは異質のものだった。─ 47ページ

 

彼らは、物理的な世界に住む、物理的な肉体を持った生命体ではあったが、厳密に言えば、今の我々のように三次元世界のみで生きる生命体ではなかった。彼らは種族全体ではるか遠い昔から、時間と空間を超越した存在になることを目指していた。つまり、惑星や太陽系といった物理的な世界に束縛されない、非物理的な存在となること――時空を超越することにより、自分たち自身が神になること――を夢見ていたのである。
そして結局、この地球が彼らの住み着いた最後の世界となった。なぜならば、地球にやってきて間もなく、その創造的な想念パワーに磨きをかけ、ついに物理的な束縛を完全に克服するに至ったためである。
彼らは神になった。時間と空間を完全に超越した彼らに、地球や銀河に縛られている必要は、もはやない。彼らは自由になった!彼らはついに”シータ・ユニバース(八番目の宇宙)“ すなわち ”想念宇宙“の住人となったのである。─ 49ページ

 

そして現在この地球には、最初に住み着いた彼らに由来する単語が数多く残っている。彼らの別名”エルダー・レース“の”エルダー(訳注el-der=上位の、上級の)“も、その一つである。”エル(el)“はもちろん”L“を意味し、”ダー(der)“は”由来する(derive)“の短縮形である。
その他、”高める(el-evate)“ ”排除する(el-iminate)“といった単語もそうである。エルズは、自分たちをより高い次元に”高めた“のではないだろうか?彼らは時間と空間を”排除した“のでは?─ 50ページ

 

南米アンデスの”新しい聖地“は

今後、地球とほかの星々の中心的な役割を果たすことになるだろう。
この地球上には聖なる光線が常に注ぎ込まれている地域が二か所ある。東洋のヒマラヤ山中と、南米アンデス山中のチチカカ湖周辺地域がそれだが、前者に注がれている光線は”男性的性質“を持ち、後者のそれは”女性的性質“を持っている。─ 56ページ

 

これすんごく同意。ずっと思っている事の一つに「性の統合」がある、身体的にも精神的にもどちらかではなくどちらも有している生物、男女ではなく人間。それが人の目指している物の一つ。なので、これから増々女性性が強くなってバランスをとってくるはず。ちなみに、この本が発売されたのは2010年。

 

我々は、”偉大なる生命の七つの光線“のどれか一つを通じてこの世に出現した。そして、その光線に内在する強力なパワーが、我々の個性に、および人生体験のすべてに、大きな影響を及ぼしている。聖書は、この”七つの光線“を”玉座の前の七つの聖霊“として紹介している。
それぞれの光線が象徴するものは、一つ目の光線が、”リーダーシップ(赤)“、二つ目の光線が、”教育(ライトブルー)“、三つ目の光線が、”哲学(緑)“、四つ目の光線が、”芸術(黄)“、五つ目の光線が、”科学(藍)“、六つ目の光線が、”愛(ピンク)“、七つ目の光線が”儀式“(紫)である。─ 68ページ

 

サナト・クマラ
地球の人々よ、あなたがたは、神の最高の表現なのだ。この宇宙に物理的に存在するものの中で、あなたがたを超えるものは何一つ存在していない。
生命と知性は万物に備わっている。古代人はそれを理解していた。考えることができるのは、人類のみではないのである。たとえ元素であれ、鉱物であれ、この宇宙に存在するあらゆるものが、固有の知性を持っている。─ 126ページ

 

この宇宙には、”受け取るためには、まず与えねばならない“

という偉大な法則が存在する。我々は”ため池“のようなものである。”ため池“は、そこに蓄えた大量の水を、外部の乾いた大地に与えて初めて、天からの雨を受け取ることができる。与えることをやめた”ため池“の行く末には、破壊のみが待ち受け、そうなったが最後、それは一滴の水もためられなくなる。しかし、もしも自分の持つ大量の水を惜しげもなく分け与えたならば、つづいてそれは、水を飲み尽くして再び干上がった大地に命の水を与えるべく、聖なる雨をより大量に受け取り、蓄えることになる。
再び雨を受け取ることができるのは、十分に与えた”ため池“のみである。そうしてそうすることこそが、我々が真の進歩を果たすための唯一の方法なのである。我々はまず与え、そして受け取る。そして、我々が受け取る量は、与えるごとに増加することになる。─ 135ページ

 

やがてキリストがこの地球に戻ってくる。

なぜならば、太陽系の偉大なる主人は、そのシステムが重要な局面を迎えるたびに、その中のもっとも遅れた惑星に姿を現し、その惑星を援助することになっているからである。
そして、”彼“がやってくる理由はもう一つある。それは”彼“が地球の霊でもあるからである。”彼“はその地位を、かつて仏陀として生きたときに獲得した。仏陀は地球のための存在だった。しかしキリストは、この太陽系全体のための存在である。─ 137ページ

 

これまでに地球は、数多くの文明を手にしてきた。

一つの文明が底なしの穴に落ち込むと、そのあとにまた別の文明が現れ、科学的、技術的に素晴らしい進歩を遂げる。しかし、その文明もまた、再び底なしの穴に落ち込んでいく。地球はこれをくり返してきたのである。同じ過ちを、何度も何度も犯し続けてきたのである。
ちなみに、金星において文明が滅亡したことは、過去に一度もない。あなたがたが火星として知っている惑星においても、過去にわずか二度あったのみである。しかし地球では、それが何度も起きているのである!
人は一度学んだことを活用しなければならない。あなたがたは今、急激な物質的進歩の過程にあるが、たとえそれを極めたとしても、これまでに学んだことの活用を怠ったならば、築き上げてきたもののすべてを、あっという間に失うことになるだろう。そればかりか、学びはじめた時点よりもさらに低い進歩レベルに転落してしまうことにさえなるだろう。─ 139ページ

 

全宇宙はいくつもの宇宙からなっており、その中で人類は、常に変化を続けている多様な色彩内の極小の一点にすぎない。幻想的な色彩変化を見せながら美しく輝く宇宙群。そこでは”一つのもの“が他と混ざり合っており、それは常に一つであり、常に変化している。それは、我々には理解しはじめることさえできない世界であり、その中にあっては、我らが”父“なる神――シリウス上の想念体――さえも、人気のない海岸にある砂の一粒にすぎないような存在である。─ 176ページ

 

地球という教室の目的は何なのだろうか?

そこに満ちている涙、悲しみ、死、苦難、苦痛には、どんな意味があるのだろう?それらは何のためにあるのだろう?個々の魂が進歩を果たすため?それもある。しかしそれだけではなく、もっと大きな意味がある。核戦争を引き起こして世界を燃えかすにしてしまうため?とんでもない!それぞれの魂がそれ自身をよりよく知ることができるようになるためである。その結果として人類は、不義による凋落から自由になれる。─ 177ページ

 

地球は神性を学ぶ教室である。─ 178ページ

 

宇宙空間のほかの世界には、地球に転生してくることを切実に願っている魂たちが数多く存在している。彼らは自分たちの惑星を捨て、こんな野蛮で忌まわしい世界に、なぜ生まれようとするのだろう?こんな世界でしか得ることのできない霊的学習を積むためである。
しかしこの地球は、視覚的には極めて美しい世界である。その自然の美しさは、近隣のどの惑星にも勝っている。たとえば火星は、荒涼とした年老いた世界であり、そこには地球にあるような自然の美しい景観は存在していない。─ 194ページ

 

その狂気ゆえに――地球は、ほかの世界であればいくつもの転生を経て初めて学ぶことのできることを、極めて短期間のうちに学ぶことのできるせかいなのである。そしてもちろん、地球で学ぶことのできることと全く同じことは、ほかの世界では学べない。
地球は神々のための教室である。しかも実に奇妙な教室である。なぜ奇妙化というと、地球よりもはるかに素晴らしい惑星に住みながら地球人たちを羨ましがっている人々が、少なからずいるからである。彼らが文字通り羨ましがることがあるのかどうかはわからないが、ほかに適当な言葉が見つからない。いずれにせよ、彼らが羨ましがっているのは、地球人が、これほどにネガティブな世界の中で生きているからには、素晴らしく強い霊たちであるに違いない、という思いからである。─ 195ページ

 

我々は、ここでしか学ぶことのできないことを学ぶために、自分で選んでここにやってきた。永遠の楽園にとどまっていることも可能だった。肉体を持った生活に戻らねばならない、という法則も存在しない。我々がいつ、どこで生きるかは、我々に与えられている永遠の時間の中で、自分が学ぶべきことをもとにして、自分で決めることなのである。
ただし、ここで認識しておいてほしいことがある。結局はすべてが――ポジティブなものもネガティブなものも――”彼“なのである。ネガティブ性質なくして、”彼“は存在しえなかった。”彼“はポジティブでありネガティブであり、善であり悪であり、父であり母でもあるのである。─ 196ページ

 

どんなに邪悪であろうと、堕落していようと、神性のひとかけらも残していない人間など、宇宙のどこにも存在していない。神性を持たずして、人間は存在しえないのである。─ 197ページ

 

長い間モヤっていた疑問、なぜこんな野蛮で忌まわしい事が多発する星に生まれたんだろう?に一つの答えが出た。低レベルな世界であればあるほど学びが多いから選んだのか、と。いまだにこんな低能スタイルな星は宇宙広しといえど、なかなかないだろうから「神性」を飛び級で学ぶには最適だから選んだんだよ、と。私の魂は横着しすぎだろう、と。飛び級的安易な発想でココを選んだんだろう、と。容易に想像がつく、ほんっとに浅はか……地球の次元の低さをナメテんじゃないよ!と、言ってやりたい……最後に、ジョージ・ハント・ウィリアムソンの著書で他に面白かったのは、こちらの「輪廻転生をくり返す偉人たち」。