不可思議探偵団_心々の楽書記

地球を楽しんだり愚痴ったり探索する中で気づいたこと

やる気が出ない→それこそが通常運転

コロナになって一ヶ月間仕事が停止した時に、決まった時間までに決められた場所に行って決められた事に仕えることから望まずして解放された。社会に出てから初めて、丁寧に自分が食べるものを考え、丁寧に買い物し、丁寧に作り、丁寧に食べ、丁寧に肌を管理し、丁寧に風呂に浸かって磨き、丁寧に眠った。丁寧に起きた。朝丁寧に起きて一日何をするか考え、丁寧に一つ一つ行った。今までどんなにすべての動作を「ながら」だったり「省略」したり、スピード重視の惰性で行っていたことを痛感した。

 

そんな丁寧に暮らすことを初めて体験したら病みつきになった。24時間すべてが自分のものだと毎日実感できる一日。誰に何に仕える事なく過ごす日々と言うものにハマってしまった。のでその後の契約更新時期にそのまま仕事を辞め、丁寧な暮らしを叶えるのは実家に引き籠るしかないと思い(本当に親が生きててくれて助かった)東京から札幌にお引越し。丁寧に何もしないをしているうちに、二年目突入中。もっと早く仕事をしたくなるのかなと思いきや冒頭に戻る→全くやる気がおきない。それはもう自分でも驚くほど、16時間労働とか当たり前のようにやってたのに、むしろやってたからなのか、もう引くほどやる気がでない。

 

そりゃそうなんだ、元気がでないとかやる気がでないとよく言うものの、本来、やる気も元気も人間は持ってない。それどころか、左脳ばかり使っているともう最悪でネガティブな思考しか出てこない。なぜなら思考はネガ設定されているから。本当に驚くよ、ポジ設定しておけよ。本来、人間はネガティブなエネルギーをポジティブに変換して宇宙に返すために存在しているのに、なぜそんなことになっているのか。これまでの永い時間をかけてそうなってしまったのか?元来のお人好しが炸裂してキャパオーバーのネガを受け取り続けたからか。そのため、ネガの影響を受けない直観で暮らすことが大事になってくる。

 

冷めた目で振り返れば今までだってやる気があるとただ勘違いしてただけかも、もしくは、仕事するのが当たり前、仕事しないと生きてる価値も意味もないと勝手に思い込んでいただけなんだろうと思う。ただ本当に生きてるだけを行ってみると、見えない風当りは強い。無職は犯罪じゃないのに、むしろ、犯罪者より年間費用低燃費で(以前、テレビで囚人一人の年間費用より安上がりに生活してて「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」って何?ってなった)迷惑かけず静かに生きてるのに。

 

よく自殺しようとしている人に「生きてるだけで素晴らしい」って言うけれど、実際ただ生きてるだけの時にそう思うのは難しい、ので、年金制度なんてなくていいから「生きててくれてありがとう月10万円」を生まれた瞬間から死ぬまで支給してみてはどうだろう?という訳で、そもそもやる気なんてないのが当たり前なのだから、無理に出そうとしたり、出ない自分に絶望したりする必要はないよと、自分に言い聞かせる。