雪月占花_心々の『楽書記』

地球の不可思議を楽しみゆるく暮らすためのメモ

無理強い感、糖質ゼロ級「ラマナ・マハリシの教え」

本日は聖者、神秘家、宗教家、エトセトラな肩書きを持つ人達の中で、最も押しつけ感や教えを説いている感じがしない人なのでは?な、人物と言える南インドの聖なる存在

ラマナ・マハリシ(1879-1950) 「ラマナ・マハリシの教え」を『楽書記』。

 

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ラマナ・マハリシと本書をザックリ説明

「ラマナ・マハリシ」本書よりフレーズ抜粋

ダラダラダラリと感想を

 

クリシュナムルティ(1895-1986)ばかり読んでいて、他のインド人もしっくりくるのだろうかと思っている時に出遭ったラマナ・マハルシ(1879-1950)の「ラマナ・マハリシの教え」。この本もまたクリシュナムルティと同じく対話形式になっている。そのため、話し言葉で書かれているのでとても解りやすい上、問に一つ一つの番号がある構成になっているので読みやすい。たとえば 「12 エゴの特徴は何でしょうか?」と言う何処かの誰かの質問の後に「……(略)そのエゴが破壊されるなら、真実に存在するものをあるがままに見られるであろう。これが解脱(モクシャ)と呼ばれるものである」と、マハリシが数行で答えると言った流れになっている。なお、ページの後半部分は弟子とマハリシの対話が記述されている。

 

「ラマナ・マハルシの教え」本書よりフレーズ抜粋

「私が」および「私のもの」という感覚を壊滅させることが究極である。「私が」と「私のもの」の二つはお互いに依存し合っているので、一方を壊滅させればもう一方も滅びる。─ 46ページ

 

ラマナ・マハリシの教え」を読んでいて終始感じたのは、彼は質問されたら応えるが、問われない限りは自分の思想(と言うか体験、体感)を説いたり広めたりしないと言うスタンス。そういう雰囲気は仏陀に近い感じがしたけれど、仏陀は人間に対する諦めによってそうしているのに対し、マハリシはそういった能動的な行動そのものが存在していない印象を受けた。ちなみに、細かい訳注からヒンドゥ社会の全体像が感じられるのも面白かった。

 

そして、もう一つ読んでいて思ったのは、何かを否定したり批判したりするという概念そのものがない。同時期に読んでいたのが「人生の意味の心理学〈上〉―アドラー・セレクション」最早、現代人の代表みたいなアルフレッド・アドラー(1870-1937)だったからかもしれない。今の時代の感覚だと、アドラーの方がずっと後に生まれていそうなのに、ラマナ・マハリシ(1879-1950)の方が後輩と言う事実。いつもは気にしていなかったけれど、世界中どうやら否定的な比喩や柔らかなディスりで表現されている本が当たり前の様に多い。「ラマナ・マハリシの教え」を読み終えるといつの間にかそういったモノに慣れ過ぎていることに気づいた。

「人生の意味の心理学〈上〉アドラー・セレクション」本書よりフレーズ抜粋

公平無私な観察者が、われわれの惑星を訪問することを想像すれば、きっと次のように結論づけるだろう。「あらゆる組織と制度、安全を求める努力、雨をしのぐ屋根、身体を温める服、通行を容易にする道を持ったこの人間は、明らかに、自分が地球上でもっとも弱い生き物であると感じている」─ 71ページ

ニンゲンのディスり方が絶妙。

 

今回は、「ラマナ・マハリシの教え」は図書館にあったのでお金を掛けずに読ませて頂きました、感謝。ちなみに下にリンクを貼った「ラマナ・マハルシとの対話」は、kindleUnlimited会員だと無料で読めるので、そこから入るのも良いかも。充分、彼の雰囲気は感じられる。スピリチュアル系の本は結構な確率で、kindleUnlimited会員だと¥0読みが出来ておススメなのですが、そのため、一度会員になるとなかなかやめられるタイミングがやってこないのも事実。色々諸々、節約したいのに。