雪月占花_心々の『楽書記』

地球の不可思議を楽しみゆるく暮らすためのメモ

最古の聖典タントラOSHO版「光と闇の瞑想」第七巻

 

本日は、インドの神秘家(……?)としては外せない

OSHO「光と闇の瞑想―中心へ向かう・ハートの開発 和尚講話録(タントラ秘法の書)」の『楽書記』。

 

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OSHOと本書をザックリ説明

「光と闇の瞑想」本書よりフレーズ抜粋

ダラダラダラリと感想を

 

5000年前のタントラ最古の聖典『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ(意識を超えていく技法)』をOSHOが身近な例えで説明したり、ブッダやイエスを引き合いに解説しているシリーズ第七巻「光と闇の瞑想」(全十巻)。このシリーズは三冊目だがどれも解りやすく肩の力を抜いて最後まで読める。今回も簡単に取り組める技法と経文の解説、プラス聴衆者の質問とで構成されている。例えば……歩く時は1m先を見て歩き無駄な情報をキャッチしてエネルギーを浪費しない……とブッダは言っていたそうだけれど、同意しかない。さらに、外を歩くときはコンタクトも眼鏡もせず、ハッキリ見えないようにすると、気力&体力の消耗が減らせる。

 

「光と闇の瞑想―ヴィギャン・バイラヴ・タントラ 和尚講話録 (タントラ秘法の書)」本書よりフレーズ抜粋

愛され、また自分も愛することができたら、食べる量は少なくなる。誰かに愛されているとそれほどは食べられなくなる。愛によって存分に満たされるから空虚を感じない、愛がないと空虚を感じる…何かをつめこまないといけない。そこで絶えず食物を強いる。中略―子供が初めて愛と食物に出会うとき、その両方の出会いは同時に起こる。同じ乳房から、同じ母親から、子供は食物と愛とを得る。だから食物と愛が関連づけられる。もし母親が愛情深かったら、子供はけっして余計に乳を飲まない。その必要がない。子供はその愛の中で安らいでいる。─ 56ページ

 

愛がなければ、そこに明日が現れる。何が起こるかわからない。そこで金を蓄える――誰ひとり信頼できない。だから物を信頼し、金や富を信頼する。─ 57ページ

 

いったん根に達すれば、根は消え失せるのみだ。あなたが何かをするわけではない。その問題点を知らないからこそ、何かをしてしまうのだ。正しく理解すれば、問題は消失する。問題の正しい理解、問題の根源的理解が、問題の消失となる。─ 58ページ

 

行為はあくまで刹那的なものだ。もちろんそれはあなたの一部分だが、あなたの全体はそれを超越している。あなたは瞬時に違うものになる。あなたの振舞いや行為や行動を通じて他人が何を知ろうと、それはいつ裏切られるかわからない。今まで聖者であった人間が、今この瞬間、罪人になることもある。─ 59ページ

 

完璧なエゴを作り上げ、そしてそれを溶かす。一見それは不条理だ。エゴを作り上げるのも、ただ溶かすため、深い明け渡しを達成するため、失うためだ。─ 72ページ

 

瞑想を遊びとして戯れとして見なし、それを楽しめば、その質そのものが変化する。そうすれば、もはや瞑想も、何かの結果を得るための原因ではなくなる。そのかわりに、瞑想を今ここで楽しめるようになる。瞑想は原因でもあり、結果だ。その両方だ。始点であり終点だ。─ 159ページ

 

もし愛を知っていたら、神を知る必要はない――あなたはもう神を知っている。愛とは神の別名だ。もし愛を知っていたら、瞑想に入る必要はない――あなたはもうその中にいる。愛とは瞑想の別名だ。愛がないからこそ、これだけ多くの瞑想技法や、瞑想教師や、瞑想の流派が必要となるのだ。もし愛が存在したら、何を実践する必要もない……そのことはもう起こっている、そのこととはエゴの消失だ。─ 171ページ

 

老子の教えの根本はこうだ――受け容れれば、〈存在〉はすべて味方になる。それは必然だ。否定すれば敵が現れる。否定すればするほど、防御すればするほど、守れば守るほど、ますます多くの敵が現れる。敵は自分の創造物だ。敵というのは、外側に存在するのではなく、自らの解釈の中に存在するものだ。─ 210ページ

 

ブッダは言った、「起こることすべてを記す。ひたすら記し、そしてそれが消え失せたら、その欲求は消え失せたと記す。そうすれば欲求からの距離、思考からの距離が感じられるようになる」。─ 280ページ

 

思考を心に記せば、きっと間隔の存在が感じられるようになる。いかに小さくとも、そこには間隔がある。それから次の思考がやってくる。それからまた間隔がある。この間隔の中に「私」はない。そしてこの間隔こそ、あなたの真の存在だ。思考は空の中を動いていく。ふたつの雲の間に見えるこの間隔の中に、空が開かれる。─ 281ページ

 

彼は「誰も自分を愛してくれない」と言う。どうして人があなたを愛せるだろう。たとえ全世界があなたを愛したところで、それを感じることはあるまい。なぜなら、自分が閉じているからだ。愛はあなたの中に入れない――入り口も扉もない。そしてあなたは自分自身の牢獄の中で苦しんでいる。─ 203ページ

 

宗教なるもののすべては、いかになくなるか、いかに溶け去るか、いかに明け渡すか、いかに開いた空間となるかということだ。─ 205ページ

 

【エゴを明け渡す】本書より抜粋

風や音や太陽の光線が自分に触れるだけでなく、自分の中に入り自分の中を通り抜けていくのを感じる。耳だけで音を聞くのではなく体全体で聞く。そうして音をあらゆる細胞、あらゆる気孔から飲み込み体全体に吸収させてから、あなたを通り抜けさせる。もはやあなたは防壁ではない、空気に対しても言葉に対しても音に対しても何に対しても抵抗していない。もう自分に葛藤はなくなったと感じるようになると突然エゴの消失に気づく。すべてを受け容れ扉をあけたままにすればエゴは存在できない。もっと敏感に、もっと無防備に、もっと開放的になり、物事が自分に起こり流れていくことを許せば、エゴは存在できない、あなたはただいなくなる。

 

言葉の数々に耳がイタくなると言うか、最早、自分が気の毒にさえなってくる。一日の多くの時間を何を食べるかとか、何かを食べるコトばかりに費やしている。事実、愛で満たされていないし満たしてもおらずで、OSHOの言う通りだなと痛感する。猫ちゃんと暮らし始めた妹を見ていると、愛に満ち満ちているししっかり交換し合ってもいる。その結果か、以前より食いしん坊具合が抑えられているので、必ずしも人間ではなくても良いのだなと思う。

 

「愛」とかハートを開いてとか、どうたらこうたらなハートのオープン話は、正直、私のような長く枯渇している身にはただただ拷問の様な時間になりがちだけれど、そこはOSHO「愛」を語るのが上手だなぁと思う。こんな殺伐とした私にも世界にも(私が殺伐を感じていれば世界も同時に殺伐とするのだけれど、そこは置いておいて、苦笑)届くように、今生の私たちが陥りがちなトコロを的確な言葉で突いてくる。結局、その通りすぎて良くも悪くも避けきれず(話は最初に戻って)拷問の様な時間になりがちではある。

 

それにしても、自分自身を振り返ってみると、一日の多くの時間を何を食べるかとか、何かを食べるコトばかりに費やしている。事実、愛で満たされていないし満たしてもおらずで、OSHOの言う通りだなと痛感する。自分で自分が気の毒。猫ちゃんと暮らし始めた妹を見ていると、愛に満ち満ちているししっかり交換し合ってもいる。そのせいか、以前より食いしん坊具合が抑えられているので、必ずしも人間ではなくても良いのだなと思う。

 

ちなみに、OSHOの本は高値になっているコトも多いけれど、図書館にあることが多いのでお金を掛けずに読めて助かる。別の手段としては、kindleUnlimitedの会員だと無料で読めるのでその辺も使える。この辺りのスピリチュアル系の本は結構な割合でkindleUnlimitedで¥0だったりするので、なかなか会員をやめられない。