雪月占花_心々の『楽書記』

地球の不可思議を楽しみゆるく暮らすためのメモ

親切丁寧なスピ風味本「無境界―自己成長のセラピー論」

本日の『楽書記』はスピリチュアル本と言うよりこれぞ自己啓発本です!な

「無境界―自己成長のセラピー論」ご紹介。

良い人ウィルバーさんと本の内容

「無境界」ページよりフレーズ抜粋

心と身体の境界を消す呼吸ページ抜粋

瞑想について思うコト

 

著者ケン・ウィルバーさんはアメリカのトランスパーソナル心理学、哲学者。トランスパーソナル心理学ってなんじゃいと思ったけれどスピリチュアル系心理学みたいな感じみたい「フロイトブッダを結合させた」というキャッチフレーズで知られているって言うから、論理を頭に詰め込んで瞑想しそのすべてを手放すみたいな感じか?と、雑に解釈してみた。

本の印象としては、歴代の物理学者や心理学者、神秘家たちの言葉を借りながら、自己の内面と外面、主体と客体などこの世界にある全てのモノが一つであることを論理的かつ誠実に解き明かしてる。よく宗教家や神秘家が唱える詩的でふわっとした表現をここまで具体的に理論的に書いている本はなかなかお見かけしない。文中に数々の参考文献やお薦めの書籍を紹介しており、読者に理解して欲しい気持ちがひしひしと伝わってくる、どこまでも親切なウィルバーさん。

 

 「無境界―自己成長のセラピー論」ページより抜粋

物理学者や東洋の賢者が、すべては空である、すべては二つではない、あらゆるものは相互に浸透しあっている、というとき、彼は物事の違いを否定し、個性を無視して世界が均質なものだといっているわけではないのである。世界は、あらゆる種類の特徴や外観や線を含んでいるが、それらはすべて一つの縫い目のない場に織りこまれている。─ 79ページ

 

聞く人を聞くことができないのは、そんな人は存在しないからである。われわれが「聞く人」と呼ぶと教えられてきたことは、実際には聞く体験そのものであり、誰も聞くことを聞きはしないのだ。現実には音の流れがあるだけで、その流れは主体と客体に分断されてはいない。そこには境界はないのである。─ 91ページ
主体的な聞く人を聞こうとしても、聞こえるのは客体的な音だけである。それは、あなたが音を聞いているのではなく、あなたがその音であることを意味している。聞く人は聞かれる音すべてなのだ。聞く人とは、離れたところで聞くことを聞く、別個の実体ではない。─ 91ページ


この91ページのフレーズが響く人がこの本の読者向きなんだろうね。同じことをクリシュナムルティも言っているのだけれど、結局、神秘家・宗教家の色合いが強い人の言葉が入る体質か、それよりも心理学者・哲学者の色合いが強い人の言葉の方がすんなり入るかどうかの問題。今この瞬間にどれだけ焦点を合わせられるかで、瞑想もそのためだけにある。

 

いま以外の時はない。外観がなんであれ、あなたが唯一体験しているのは永遠の現在である。だが、一般にほとんどの人が、現在の瞬間を永遠の瞬間とは感じない。われわれは現在の瞬間をおそらく一、二秒しかつづかない過ぎゆく現在、瘦せ細った現在と感じている。─ 121ページ

 

現在は過去と未来によってサンドイッチの状態にされ、あらゆる側から制限されている。限定され、取り囲まれ、制限されているのだ。開かれた瞬間ではなく、握りつぶされ、押しつぶされた瞬間、すなわち、ただ通り過ぎるだけの過ぎゆく時間なのだ。過去と未来があまりにも現実的に思えるために、サンドイッチの中味である現在の時間は、薄いスライスにされてしまい、われわれのリアリティは中味のない両側のパンだけになってしまう。─ 123ページ

 

心と身体の境界を消し去るプロセス
 「無境界―自己成長のセラピー論」ページより抜粋

1.各部位の状態確認
仰向けに寝る→目を閉じ楽に呼吸をし身体の各部位の感覚を感じる→心臓、腰、横隔膜などの生き生きとした強靭さあるいはダルさ重苦しさに注意する→この注意を3分間続ける

2.呼吸の方法

仰向けに寝る→両腕を両足につける→脚を軽くひらき目は閉じる→吸気を喉からお腹にもっていく→胸とお腹の中に大きな風船があり息を吸うたびにそれが大きくなるイメージ→吸気は胸部ではゆるやかに腹部では思い切り強く骨盤まで届くように膨らませる→風船を空っぽにするイメージでゆっくり滑らかに息を吐く→どの部分が固いか、痛いか、無感覚かなどに注意する→7、8回繰り返す→これらを続けることにより横隔膜、肩、腰などどこに張りや凝りなどの自分特有のブロックが存在しているかを見出す→それらは消し去ろうとせずただ気付いておく

3.呼吸のイメージ

風船全体に空気が行き渡る感覚の心地よさつまり喜びを吸い込みそれを身体の隅々に放射、吐く息は身体全体に行き渡った喜びを外に解き放つイメージ→喜びが下半身(両足の爪先まで)のどこまで感じられるかに注意する→同じく上半身(頭のてっぺんから指の先まで)のどこまで感じられるかに注意する

 

結局、何を読んでも辿り着くところは、瞑想。確かに、カードリーディングをする時よく思うのは、朝、瞑想をした日としない日では、カードから受け取る情報量とカードを視てから情報を得るまでの時間の速さが、全然違う。厄介なのは、地球と繋がっていない時や身体未浄化の時は、瞑想が異常なほどに面倒くさく感じられる→サボる。そういう時こそ必要なのに!解りやすい身体と意思の反応に笑けてくる。つまり、やりたくないと思う時こそ、瞑想が必要だよ!な身体のサイン、イラつくほど上手く出来ている。